新潟の、北方文化博物館に行ってきた

ゴールデンウィークは新潟に帰省して、北方文化博物館に行ってきた。

藤がとてもきれいだから、と両親に連れられ、一緒に出掛けた。

その日は雨がしっとりと降っていて、言の葉の庭に出てくる新宿御苑のようであった。木造の建物に囲まれた藤棚。下にある池には鯉がいて、雨のつくる模様の下を悠々と泳いでいた。雨音以外は何も聞こえず、建物と藤と池とが作り出す雰囲気に浸った。

 

北方文化博物館はその名の通り、北方の文化を展示している博物館で、民家の中に昔の暮らしが展示されていた。農家の暮らし、商家の暮らし。

商家の大きな大きな木造の家と、その中にある豪華な日用品。材木を贅沢に使ってはならず、板の間が一軒に一間しか作ることの出来なかった時代の質素な家。様々な北方の暮らしを見てきた。

 

一年の半分が雪に覆われる地域。生活にも生産活動にも、大きな苦痛を強いられてきたと説明書きがあった。寒さと木造の家に吹き込む隙間風に耐え、板の間を敷けないので藁の上で寒さをしのぎながら、毎年毎年暮らしのために少しずつ備えていく。

今みたいにボーナスが出たから贅沢!とかできないし、毎日毎日同じように貯めて使ってこつこつと暮らしていったことが、当時の農家のおうちを見て感じられた。

 

生きることが簡単になった今だからこそ、雪国の暮らしには心打つものがあった。

また行こう。

自責と他責。

最近1ヶ月以上家を空けていて、ドラマがたまっていたので見ていました。もう最終回は終わったと思うのですが、タラレバ娘を一気見していました。

 

原作漫画の作者の方が好きだったのと、三人の女優がかわいかったから、という理由で見始めたのですが、コメディのまじった笑える、けどリアルなお話にはまりました。

 

でも最近、見ていて何かひっかかることがありました。いつも出てくる、「私たちだって頑張ってる」が、どうにもひびかない。

もちろん、みんな30過ぎの、仕事してる人達にしては暇すぎじゃないか…とかいろいろ突っ込みはあるのですが、彼女たちの行動、決断を見て気づきました。

 

全て他責にしてないか??

 

っていうことでした。年取ったから、やめられない。向こうの気持ちがわからないから、踏み出せない…等々。全て周りの環境のせいにして、自分の中ではどんな展開になってもいいように心の準備だけしておいて、流される。そしてたらればいう。

(多分最後には自分の意思をもって一歩を踏み出す展開になるとは思うのですが笑)

↑まだ最終回見てない。

 

かくいう私も自分がたらればだったなあ、と思い当たるふしがありました。

海外に行った時の話です。春休みにボランティアで6週間、スリランカに一人旅立っていたのですが、一緒のプログラムに参加していた外国人のお友達は機関が早く終わって帰ってしまい、自分ひとりで近場を観光することになりました。

 

現地まで4時間(近場とは言っても、バスだとこのくらいかかってしまう)、泊まりにはしたくないので朝早くでなくてはならない。現地に行って、このルートであれを見て、これを見て…と計画していたのですが、その計画は見事に頓挫しました笑

 

朝は6時ごろ家を出る予定が、7時になり、ついてから行く予定だった場所まで歩こうと思った矢先に迷子になり、しつこく話しかけられたタクシーのおじさんに、違う観光地を勧められ、現地の人のいうことだから…と従って、結局観光は思い描いていたものとは違い、タクシーのおっちゃんにはぼったくられ…(日本ではふつうの値段だったので、気づかなかった、あとでホストマザーにあきれられた)

 

こんなことになってたのです。海外生活で疲れてたから…、悪いおじさんに出会ったから…知らない土地だったし…といくらでも言い訳はできるのですが、よく考えたら全て自分のせいだった。

 

前には、タクシーはメーターを確認して乗りなさいね。と教えられたし、ホストマザーの朝は早いので、起こしてもらうよう頼めたし。最初プラン立てていたところに行って絶対に楽しむ!と決意していたら、違う観光地勧められても行かなかったし。

 

全部他人と環境のせいにしたら自分は傷つかないし楽だけど、そうしたらまた同じことを繰り返す。全部自分の責任に持ってきて反省する人は、次に同じ状況に陥った時に絶対に同じ過ちを繰り返さない。

 

大事なのは自分がどうなったら幸せなんだろうか、と具体的に想像して、そのための選択をすること。だと思いました。単純なことですが、自分の幸せや楽しみは他責にせず、自分でつかみにいかなければならないのだなあ、と海外での失敗をもとに学びましたとさ。(こんなこと書いちゃったので、同じ過ち繰り返さないように気を付けますー)