隠れ怖がりさん

人はだれしも、知られたくないことの一つや二つ、あるだろう。

自己開示をして相手に傷つけられることは怖い。

それが近しい人ならなおさらだ。

 

私は「隠れ怖がり」だったことが最近発覚した。

初対面の人とは割と抵抗なく話せるし、友達と話してても普通にたくさん笑いながら話すことはできる。私を外から見て、「あいつ、まじでコミュ障だわ」って思う人はそんなに多くないと思う。(と、自分では信じているけども笑)

自分ではわりと、あけっぴろげに自由に生きていると思っていた。

 

だけど、最近気づいた。

私はとてもコミュ障だし、他人に傷つけられることをとても怖がる。

だからいつも、相手が何を考えているのか、どういう考えを持っているのかを無意識に見ていて、相手の考えに同調しようとしているのかもしれない。

 

「普通それしなくない?」とか「変なの」など相手が無意識に、悪気なく発する言葉をとても恐れていて、相手の考えがわからないと発言するのをためらう。だから、後出しじゃんけんのように意見を述べるところがある。

 

自分は何を考えているのかを表情や言葉で相手に伝えるのがとても苦手だ。自分の好きなこととか、どう感じたか、とか。何を考えているのかとても分かりやすければ、きっと相手は勝手に「こいつ、そういえばこういうやつだったわ」と解釈してくれるだろう。だけど、自分は自分を小出しにしていくのが苦手で、気づいた時には相手が思っている自分像と自分の思う自分像が違くなっているのを感じる。

その状態で、自分の考えを述べるのがとても怖いのだ。

 

例えば、以前から私は天狼院書店という会社のライティングゼミを受けていた。

学生がぽんと払うには少し高い金額だし、自分が始めた理由も「なんかこれやりたいって思ったから」くらいにしか言語化できなかったので、しばらくの間誰にも言えなかった。今まで文章書くのが好きだとか言ってないし、ブログとかもそこまで更新してなかったし。その講座は8月から受けていたのに今になってようやく友達に話せたりしている。

(なんとなくとはいいつつも、前から文章を書くのは好きで、見つけた時に「これだ!」と思ったので自分にとって本当に良い選択だったと思っている。だからこそ否定されるのが怖くなる)

 

「そんな高いのよく受けるね」とか、「何でそれ受けてるの?」とか「卒論大丈夫なん」とか、架空の人物が頭の中でいろいろ言うのを聞くと声に出して誰かに言おうという気をなくしてしまうのだ。その頭の声は私がいつか誰かから言われたことで、でもそれを頭の中で作っているのは自分自身だ。

 

いつも私の中には世の中の人が思う「普通の人」の範囲が定められていて、それを超えることをすることはいけないことのように思ってしまっているし、それを他人に伝えることによって否定される、と思っている。

 

そんな時、以前言われた言葉を思いだした。

その人は周りの人の反応を怖がっている自分に対して、

「世界はちひろが思うより優しいところだよ」と言ってくれた。

怖がりすぎて、周りを勝手に敵だと思っていたのだと思う。

 

世界のすべてが優しいわけではないかもしれないけど、ちょっとだけ自分を出してもいいのかなと思った。