池袋で声をかけられて

昨日、池袋で声をかけられた。

「雑誌の撮影なんですけどお時間ありますか?」

気が付くと私は反射的に「ごめんなさい」と言っていた。そして慌てて、「急いでるので」と付け加えた。

 

そういう人びとは休日の雑踏の中、一日で何人の人に声をかけるのだろうか。

相当な人数に断られるだろうから、かなりレベルを落として声をかけているに違いない。と言い聞かせながら、内心の焦りを隠してポーカーフェイスで立ち去った。

 

それはほんの5秒足らずの出来事だったが、どこか後をひくようなモヤモヤが心の中にあったのでずっとその正体を探っていた。

 

もちろん、光栄なことだとは思う。

その人が多くの女性に声をかけていたとはいえ、人ごみの中で自分を選んで声をかけてくれたことは嬉しかった。だけど、何か引っかかるものがあった。

 

そして、JR池袋駅の改札を出たあたりでその正体を見つけた。

私は過去に、いくつかの場面で同じような感情になっていたことを思いだした。

 

例えばスポーツ番組で、野球の話をするおじさんたちの中に一人だけいる女子アナウンサー。番組ではほとんど話さないのに、CMに入るまでの短い時間や、番組の初めには足から顔にかけて全身をアップで映すカットがあった。

 

そして、男友達との会話の中で。どんな人が好きか?という話になり、「可愛い子」という話題になった時だった。その時その人が何を言ったのかも鮮明に覚えている。

「性格は変えられるけど、顔は変えられない」

 

 

別にそのスポーツ番組や、男友達は誰かを侮辱したわけでは無い。

そして特に女性蔑視の発言や行動をしたわけでもない。見た目について何かを言うことは悪いことではないし、人間は認知の8割以上を視覚に頼っているという事実がある上で見た目を全く無視しろというのは無理に近い。

 

だけど、男性・女性に関わらず人の見た目に関してのみ述べることに私がもやもやを感じてしまうのには理由があった。

以前私は「四十歳、未婚出産」という本を読んだ。(Amazon CAPTCHA

そこには、ある程度年を重ねた女性に対しての差別的な発言など、読んでいて辛くなる内容が多々あった。(読後は幸せな気持ちになります。約3時間ぶっつづけで読了したくらい、面白い本でした。)

 

それから自分は、自分から若さや、(ほぼ無いに等しいが)美しさというものを除いた時に何が価値になるのだろうか。ということを時折考えるようになった。

 

それを考えた時に、人間の若さや美しさなどについてのみ、価値を見出すことは「その人」ではなく「その人の今」についてだけ焦点を当てている見方だと感じるようになった。もちろんモデルや俳優、女子アナなどが見た目も見られている事に関しては、仕事なので致し方ないとは思う。だけど、友達や恋人など人と個人的に関わる際にそれだけを見て判断することは少し違うのかなと思ってしまう。

 

それは、その人が「若かったら」好き。「可愛い時は」好き。ということになるから。

 

もちろん自分も、人を見て「可愛い!」「かっこいい!」と思うことは多々あるし、芸能人で誰がかっこいいかなどの話題で盛り上がることもある。

だけど、「その人」を見るときに、目で見えるものだけで判断をしないように気を付けなければと思った。

 

そして、自分に関しても、営業という職種に就く可能性が高いため、見た目に気を遣うのは大切なことと認識しつつも、常に内面の素敵な人になろうと思うのだった。

見た目はお金をかけてしか磨けないが、内面は稼ぎながら磨いていくことができる。

若くてお金が無いからこそ、内面を磨いていこうと思った。

 

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