忙しい=充実してる症候群にかかってはいないだろうか。

スケジュール帳が埋まっていたり、日々忙しく活動していると、疲れるけれども充実する感覚がある。

そうやって、毎日誰かに会って何かをして過ごしていると、世界とつながれているような、社会に必要とされているような、承認欲求が満たされているように感じる。

逆に、誰とも会わず、特に何かに没頭するでもなく過ごす時間があると、時々どうしようもない不安が心から湧き出すことがある。

 

このままでいいのか? みんな私の事を忘れているんじゃないか?

役に立たない奴って思われてはいないだろうか?

 

そんな不安は出てくるが、私は敢えてそういう余白をとることの良さを伝えたいと思う。

 

自分は大学1~3年生の間、ほとんどの期間を忙しく過ごしていた。

スケジュール帳が埋まり、毎月新たな知り合いが増え、様々なイベントに顔を出していた。

 

4年生になって、学校が少なくなり、友達と会う機会も減って、一人で過ごす時間が増えると途端に不安になった。「みんな」とつながっていないことや、「なにか」をしていないことに対しての不安や孤独だった。その時は、自分の知らないところで世界が回っていて、私だけどこかに取り残されたのではないかと思っていた。

 

だけど、そうやって一人で多くの時間を過ごしていくうちに、私が過ごしていた「充実した時間」が私自身や社会に対して大したモノを生み出していないことに気が付いた。

 

私はただ、一人になりたくないがために「だれか」と繋がって、必要な人間になりたくて「なにか」をしていた。その欲求自体は悪いことではないが、自分の場合寂しさや承認欲求を満たすための手段として行ったことに関しては、頑張れなかったし、やることなすこと、自分の意志はあまり無かった。

 

生活に多少なりとも余白を作った方が良いと私が言う理由は、自分がつながる人や何かに対して自分の寂しさや承認欲求を満たすだけの関係をやめ、小さくてもいいから自分が多少なりとも「やってみたい」と思ったことや「変えたい」と思うことを、心の声を聴きながら見つけて行動に移していくための心身の休憩のようなものをとった方が良いと思っているのもあるが、もう一つ伝えたい重要なことがある。

 

私は、毎日を何も考えずただ目の前の事をこなしていくことの恐ろしさを知った。

自分は、特に目標もなく、何となくみんなが喜びそうな道を選んできた。そして、死ぬ気で頑張るわけでもなくただ言われた手法を「作業」のようにこなしていた。

だから、過去の三年間を振り返った時に、身に付けたことがブラインドタッチや会議のファシリテーションのやり方、ちょっとした資料の作り方とか、少しのWord,Excelの知識くらいだったのだ。

 

PDCAサイクルという概念を聞いたことはあるだろうか。ほとんどの人はあると思う。

Plan Do Check Actionの略で、物事を改善していく試行錯誤のサイクルのようなものだと自分は認識している。

 

私は、小さい毎日の経験レベルでの試行錯誤は行っていた。こういうミーティングの進め方がダメだったから、次はこうやってみよう。資料の改行のしかた、この人のものが見やすかったから真似してみよう。など。それは無意識で、経験を重ねていくうちに自然にできる範囲の「改善」だった。

 

自分は、大きな部分でPDCAを回せていなかった。

与えられた手法の中で、仕事を最大限効率化しようとはしていたが、手法自体を最良のものにする努力をしていなかった。また、取り組む事そのものを選ぶなど目先では無い大きな部分で考えていなかったのだ。忙しいとなおさら、目の前の仕事をこなすのに夢中になり、手法を改善したり、本当にそれをする必要があるのかどうかについても考える余裕がなくなってしまう。

広い視野を持って考えることは、一般的な言葉で言うと、視座が高い・低いという言葉に収束するだろう。

 

そして、新人や学生はまだそんなこと考えなくてもいいという人もいるかもしれない。だけど、自分が今いる組織についてそのような視座を持って積極的に考えることで、(もちろん新人なので会社の経営そのものに役立てられる可能性は低いだろうが)自分の中での仕事の定義の捉えなおせたり、その物事をやる理由を明確にできたりすると思うのだ。組織の為だけでなく、自分の人生の時間の使い方を考えるために大きなPDCAを回すこともできると思う。

疑問を持ったり、考えてみたりしない限り、「自分の考え」や「すすみたい方向」が決まるはずはない。

 

だから、時々立ち止まって、なぜこれをやるのか? 違う方法でできないか? そもそもやらなくてもいいのではないか? など様々な疑問について考えてみようと思う。

ただ、考えてばかりなのも禁物だ。行動しなければアウトプットは皆無だからだ。

言われたことはよくわからずともまずはやってみる俊敏性と、視野の広さのさじ加減を今後の一年では探っていこうと思う。

 

そして、社会人1年目で多忙を極めているであろう自分にこの文章を読んでほしいと思う。  半年後の自分へ。半年前の自分より。