人と話すときって、その人を信じることが一番重要だと思う。

基本的に、一人の人を目の前にした時に、その人のすべてを分かることは不可能である。だからこそ、完全には分からない未知のその人を信じることが何よりも重要だと思う。

 

ある時感じた違和感

最近、違和感を感じる出来事があった。

人と話していて、その人と自分の考えが違った時、自分の考えを認めてもらえなかった。それどころか、相手は自分の考えが正しいと思っていて、それをあからさまな形ではないが私に教えようとして、誘導しているように思えた。

 

例えば、話の流れから、生き方や大切にしている考え方の話題になり、(実際の会話とは異なります。フィクションです笑)

自分:

「自分に合ってる考え方は、周りに何と言われようと自由に生きていくことが大切だと思います。多少迷惑をかけることがあっても気にしすぎたりしないようにしています。」

 

相手:

「でも結局、周りの人がいなければ生きていくことは出来ないよね。自分も今まで周りの人に感謝したりすることが出来てなかったけど、最近は自分がいかに支えられていたのか分かりました。」

 

自分:

「仰る通り周りの人に感謝することは大切だと自分も思います。

支えてくれる人への感謝が原動力にもなると思います。周りの人から反対されたり全く迷惑をかけないで生きていく、ということが出来たらそれは理想だと思いますが、それは自分が他の誰とも違う人間である以上、それが出来ない時もあると思っています。

だから自分がやりたいと心の底から思ったことに対して、周りの人が反対したとしても、それを行おうと考えていて、そういう背景があってさっきの意見を言いました。」

 

相手:

「なるほどね…。でもなるべくなら周りの人に賛成されて、迷惑かけない方が良いって思っているんだもんね。そうするために自分は△△をしていたよ。やってみたらいいかもしれないですね。」

 

ここまで読んでみて、違和感を感じた人と、普通じゃない?て思った人がいると思います。自分は違和感を感じました。そこで、普段自分が無意識に人と話すときに気を付けてたことを交えて感じた違和感を紹介したいです。

 

 

相手の意見に違和感を感じたらまず質問。

まず、自分の意見を言った時に相手は開口一番、「周りの人がいなければ生きていくことは出来ない」と持論を言った。

 

最初の時点では私は背景も全て説明していたわけでは無く、自らの経験から結果として大切にしていること、を述べただけなのでもし自分の意見に違和感を感じることがあっても不自然ではない。しかし、今回の場合「周りの人がいなければ生きていくことは出来ない」と相手がいったことによって、相手は意図せずとも、以下の事が自分に伝わってしまった。

 

相手は私のことを背景も聞かずに、周りの人に支えられていることを感謝もせずに自由奔放に生きている人間だと決めつけている。

 

これが分かった途端、あまり話したいと思わなくなってしまった。一般論として、人間は自分の事をダメな奴だと思っている人に対しては自己開示しようとしない。話の聞き方としてよくない。

自分は相手と意見が違うと思った時にどのように会話をしていたか?と考えた時に、自分はまず、質問をしていた。と思う。

私が自分と話している相手だったとしたら、最初の発言の後にこう言う。

「なるほど、やりたいことをやるのが一番大切だと考えているんだね!

自分だったら、周りの人に反対とか迷惑をかけてしまうと、今まで支えてもらった人を裏切ってしまうような気持ちになってしまうかなと思うのだけど、〇〇さんも、何かを選択する時そういうこと考えたりするの?」

 

いったんその人の言葉を受け止める。その上で正しいか、正しくないかは置いといて、自分はこう。あなたはどう?という聞き方をする。そこで、はい、いいえ、のどちらを選んだとしても自分は否定しないという空気を前面に押し出す。(自分はカレーが食べたい、あなたは?くらいの感じのフラットさ)

そうすると、相手は自分の意見を受け止めてもらえたと感じ、自身の考えを素直に話しやすくなると私は考えて今まで無意識に実行していた。

 

 助言は、重ねた同意の上に「意思」が見えた時にのみする。

私は基本的に自分の事をよくわからない人からこうした方が良いよ!と言われることがそんなに好きではない。何故なら自分の事をあまり知らない人が言う助言はすでに検討したが理由があって実行しなかった、代替案をすでに実行している、もはや論点ずれている、みたいな場合も多いからだ。

だから言われるたびに、そんなに考えてないように見えてたのかな、、とか自分が解決したい課題はそれじゃないんだけどな、と思って少し嫌な気持ちになる。今回も、自分の意志とは違い、「反対されず、迷惑をかけないこと」のために必要な助言であった。そもそも自分が抱えている課題では全くなかった。

 

だけど最近はキャリア支援の団体で20卒の人たちと面談をすることも度々あり、あまり話したことのない人にもこうしてみたら?と提案をしなければならない場面も多くなった。そういう時に自分は以下の事を気を付けていたように思う。

 

助言は、同意を重ねた先に「意思」が見えた時にのみする。

 

ということだった。先ほどの例の一番最初の発言だけを見ていうと、自分は「やりたいことをやる!」ことを至上命題として置いていた。

先ほども述べたように質問をたくさんする。その人にとっての「やりたいことをやる!」はどのようなものなのかを明確に掘り出すためだ。

だから、この場合は?この人が反対したら?それをすることでこういう事態が起こることが分かっていたら?というifの質問を沢山投げかけて、そのうえでどういった場合にどういう行動が出来ることがその人にとって望むことなのかを掘り出す。

 

そうして相手の意思をなるべく具体化して相手と自分で共有したうえで、その人の意思が出るのを待つ。ifの質問をしているうちに、「こういう時、このような行動をしてしまうんですよね…。本当はこういう行動したいのに」という風に出てくるときもあるのでその時は、それを解消するにはどうしたらよいのかを聞く。(教えるのではなく)

 

何でそういう風になっちゃうんだろうね?どうしたらいいと考えてるの?

 

そうやって相手から意志とそれを阻む課題解決の案が出てきたときに、その案よりもよりよく課題を解決できるかもしれない方法が自分の中にあったらそれを助言というよりも提案という形で言ってみる。解決策の案が出てこなかった場合も、提案する。

 

その方法だと、こういうことになってしまう可能性もあるから、こういう方法もあるかもね。とか。

出てこなかった場合も、(〇〇さんは気づいてるかもしれないけど、)この状態から抜けられないのは△△っていう風に考えているからなんじゃないかな?この方法で乗り切ることもできるかもね!

 

みたいな感じで言っている気がする。そこで気を付けるのはその提案を受け取らないことも許容する雰囲気をつくることだと思う。選択肢の一つに加えてもらうつもりで言う。もしかしたらその人はそれが出来ない理由があるかもしれないし、一度やったけどダメだったかもしれない。

その人のためを想って強く言うことも関係性と時と場合によっては必要なのかもしれないが少なくともあまり話したことのない人に対して何かを言うときには強制や決めつけなどで人を傷つける場合があるのでこのような言い方をしている。

 

最後に

最近、興味があったので自分の知り合いの方に、自分の考えを引き出すコーチングをしていただいた。(http://www.thecoaches.co.jp/cti/index.html)体験ではあったが、自分の中に答えがあることを信じて質問を繰り返してくださる姿勢を感じ、素直に自分が心から感じたことを答えることができた。

 

その方の学んだコーチングのプログラムはCTIという機関のものなのだが、その根本には「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である」という人間観が存在する。目の前の人のすべてを理解する事は不可能だが、その人がその人自身の持つ創造力と才知によって思考し行動を起こしていて、それを否定したりむやみに評価する権利は自分にはない。ということを肝に銘じながら人と話していきたいと思った。