どれにしようかな

最近、所属するキャリア支援団体のメンバーと話して思ったことがあった。

物事に取り組む上で一番大切なことだ。

 

私は悩んでいた。

今までやりたいことよりも、やるべきと周りが判断するであろうことを無意識に選択してきたため、やりたいことってなんだ?というようなよくある悩みにぶち当たっていた。

今までも恒常的にその悩みはつきまとっていたのだが、就活が終わった後、私をより一層焦らせたのはもしかしたら明日人生が終わるかもしれないという漠然とした思いだった。

だから、選んだ道や今していることが本当に自分の人生を使ってしたいと思えることなのだろうか?とずっと答えのない問いについて考えていた。自分が何を考え、何を望んでいるのか全く分からなくなった。

 

だから、SHOTのミーティング終わりにメンバーの一人に聞いてみた。

「決めたことが本当にやりたいことなのか悩むことはないの?明日死んじゃうかもしれないのに。」

そうしたら彼はこう答えた。

「目の前のことにまず集中して、そうしたら違う景色が見えてきてそこでまたやりたいことが出てくるから次はそれをやればいいんじゃないの?明日死ぬってもしわかってたら家族に会いに行くけど。それを知らなくて、目の前のことをやってて死んでしまったらそれはそれで仕方がないことなんじゃない?」

 

頭ではわかっていた。まずできることから。そうしたら違う道が見えてくる。千里の道も1歩から。そんな言葉は何度も聞いてたはずなのに本当の意味で理解を全然していなかった。

 

多くの選択肢を吟味することは重要だが、最適な解と呼ばれるものは残念ながら多くの場合において、ない。状況次第、持っている情報次第でいくらでも変わる。

だから、決断する、ということが重要になってくる。決めたらそこからは自分で後悔の無いように進んでいくしかない。もちろん途中で道を変えることもできるが。

いつまでも、どれにしようかなーとはやってられない。

決めて、やってみる。違ったら、変える。

違うとわかるまでにも時間がかかるから、それまで大変でもやってみる。決めたらまず集中してみる。そんな簡単なことも今まで忘れていた。

 

彼はもう一つ大切なことを教えてくれた。

「今自分がやってることは全部自分のためだよ」と言っていた。

もちろん、遊びではない何かしらの活動をする際には顧客がいて、パートナーがいて、チームメートがいる。「三方よし」という言葉がよくつかわれるけど、だれかの幸せのために課外活動やビジネスは行われるべきである。

だが、やっていることそのものが楽しいから、自分自身のできることが広がっていくのが面白いから、相手が喜んでいるのを見ると自分がうれしいから、というように自分のために活動をやっている人は強い。純粋に自らの欲求がそのまま原動力になるからだ。誰かのため、という言葉の根っこには自分がうれしい、楽しい、という感情が存在する。

時間を誰かのためだけに使っているのではなく、すべての時間や労力が自分の人生の豊さや嬉しい、楽しい感情につながっていると思うと、楽しむことができるようになるのではないか、と思う。

存在意義を問う

 

何故私がここにいるのか、尊敬する先輩を見習って書いてみようと思います。

 

以前私は、どうしたいのか分からん!もやもやするぜ!みたいな投稿をしたことがありましたが何とかそこからは抜け出しました。抜け出したというよりかは、とりあえず今の状況を受け入れて、課題はここだからこれからこうすればいいのでは?というところが見えたので少しずつではありますが進んでいる状態です。いくつかの項目にわけて書いていこうと思います。(結構長めです)

 

【何を成し、去るか】

今まで悩んでいたことの根本はここにありました。

自分は何のために今ここにいて、何を成したいのか?どうなりたいのか?ということの考えが足りず、最初は自分で決めた選択肢だったのに徐々にやることに自分の意志の入る割合が少なくなってきてしまう、責任も主体性にも欠ける人間になる、という悪循環になっていたと思います。

 口ではこうしたいんです!っていってもそれが自分の本当に考えていることとずれていたり、時間がたつにつれ忘れ去られていたり、目の前のことにとらわれて思い出すことも無くなっていたり、きっとしてたんだと思います。

 

だから今年は絶対そのように過ごしたくはありません。口だけでこうしたいですね…とか言っているのはすごく簡単だけど自分の心に随時向き合いつつ、本当にこれって自分が一つしかない人生を使って行うことなのか?行うとしたら何を成したいのか?自身の役割は?と心に問うことにします。生き物だし、いろんなものに出会いながら影響を受けながら生きているので当然変わることはあります。ただ自分に正直に(言うほど簡単じゃないけど)生きていくことに対しての誠実さは保ちたいです。

 

【今じゃない場所に点を打つ。自分の眼鏡でモノを見れる人を増やす。(そして自分もそうあり続ける)】 

今のところでの自分の考えとしては、これです。今年一年はほぼキャリア支援団体SHOT(以下、SHOT)に捧げる予定なので、SHOTの話になりますが。

『今じゃない場所に点を打つ』というのは、今ではない未来にたいしてこうなりたい、こうしたい、などの『目指すモノ・will』を置くということです。

すごく簡単なことでもよくて、今週末は本を読んで過ごす、とか、映画を月に何本見る、とかでもいいと思います。とりあえず今じゃないどこかに、やりたいこと、なりたい自分を置いておくと、人生は楽しくなると思います。もし、今目の前にあるやらなければならないこと、社会的な基準においてならなければならない自分にとらわれてつらくなっている就活生たちがいたとしたら、点を打つ手伝いをしたいです。

わざわざ点と書いたのには意味があります。多くの場合その時々ではどういう道を進むかは分からないけど振り返ってみると今まで目指してきた点がつながって線になると思います。スティーブジョブズも"Connecting dots"という話で、ただの興味で受けていたカリグラフィーの授業がマックのデザインのクオリティに活きた話をしていました。線を引こうとするのではなく、今見える点を目指して振り返ったら線になってた!でいいと思うんです。だから線を今の段階で描くことが出来ない人に点をうつ手伝いがしたいです。

 

『自分の眼鏡でモノを見れる人を増やす』というのは、自分の価値基準で物事を見たり選択したりするということです。アイデンティティが確立していないと、ついつい目に入りやすい世間で広く使われている価値基準にとらわれてしまいがちです。

稼いだ額、大学の偏差値、インターンの数…etc。自分自身もそれで結構苦しみました。大学受験失敗して、運動能力も姉に負けてて、大学には自分よりすごいことしてる人がいっぱいいる…みたいに思って比較ばかりしてました。

でも、比較しても上には上がいるし、自分の偏差値とかインターンの数とかなんて他人はあまり気にしない。だから一番大事なのは自分自身がどう感じているかだということに気づきました。だからこそ自分がどういう人間なのか?何が好きなのか?どうなりたいのか?などが分かってそれに向かっているという実感を持っていれば他の人をみて漠然と焦ったり比較して自分を卑下したりすることはあまり起こらないと思います。

 

(いい意味での焦りはあると思います。勉強しよう!と思ってる人が勉強もっとできるやつみて頑張ろう!と思う。とか。でも勉強頑張ろうって思ってる人が、運動部全国大会行ってる人見て自分運動できない…やばいわ…って焦ることは必要ないと思うんです。)(←大げさな例ですが割とあると思います。)

長々と書きましたが要するに"This is me"(映画The greatest showman参照)と言える人を増やしたいのだと思います。他者を見下したり、力を誇示することもせずに誇り高く「これが自分だ!」と言って生きていける人を増やしたいです。そして自分がそうなりたいです。

【自分の得意なこと・好きなこと】

最近SHOTをやっていて、面談の場で話聞くのうまいですねと、何名かの方から有難いことに、言っていただくことがありました。そこで気づいたのですが、自分は人の話をまとめるのが好きです。

でも条件があって、考えるきっかけとなる出来事を経験していて(部活や組織などで頑張っていた経験など)、言語化が十分にまだできていない段階の人が話していることをまとめるのことが得意なんだと思います。

だからこれは磨きつつ、他の人に対しても「話してよかった!」と思われるようなものを身に付けたいです。あとSHOTのメンバーに対しても同じように、言葉にならない声を聞きながら接していきたいです。具体的には、コーチングだけでなく、基本的なティーチング(決して価値観の押し付けではなく、方法論の範囲で)を学んだ方がいいのかなあと思ってます。(←何したらいいかまだ分かってないのですが)

 

【これからなりたい!と思う姿】

 人に対して、じわじわでもいいから前向きな力を伝播させられるような人になりたいです。今はまだ自分もネガティブなところがかなりあるのですが、ネガティブも受け入れて前向きにとらえることがだいぶ前よりは出来るようになってきていると思います。

 

前向きにさせようと働きかける人ではなく、その時々を楽しんで過ごしていて、それをみて誰かが前向きになってくれるような人になりたい。と思います。

だから今一番の自分の苦手分野なのですが、何事も楽しむ姿勢をもって過ごします。

(そのために最初に書いたような、何のために?なぜ自分が?役割は?などを問うて明確にし、それに進んでいる感覚を楽しみます!)

 

長く、説明臭い文章でしたが、今考えてることやっていきたいことはこんな感じです。

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かっこ悪い過程を経なければ、かっこよくはなれない。これをパーマ効果と呼ぶことにする。

今日気づいたことがあった。

「かっこよいオトナになるには、かっこ悪い若者になることを恐れてはならない」という逆説的な真理に…。

 

これを私はパーマ効果と呼ぶ。パーマは美しくなるため行っているが、その過程は全くと言って美しくなく、むしろ醜い。(頭にラップをまかれ、前髪はオールバック。変なにおいが鼻をつんとつっつく。だから私は美容室に行ってカラーとパーマしてもらってる間に鏡を見たくないし、誰にも見てほしくない。イケメンの美容師さんに話しかけられるのも嫌だ。)

 

苦労しないために苦労して準備をする、とか、優しくなるためには痛みを伴う経験が必要だ、とかそういう逆説も誕生する。

 

私は周りの人に関わってよかった!というように思われるような人になりたいと思う。(ということは、関わらなきゃよかった!と思われることも必要なのか?)

 

あと、自分にはちょっとした夢があって、死ぬまでに文章をカタチにして世の中に送り出したいと思っている。本当ならミュージカルとか歌うこととかが好きで、もし歌がもっとうまかったら舞台に出て歌ってみたいなって思ってたけど。

それよりも、本を書きたい。自分が感じていた寂しさや怒り、大切にしていた感情、そんなことを書いて書いて世に出したい。誰かが見てくれるんだ、ひとりじゃないし味方がいるって思いたい。あと、自分が生きた証をこの世に残したいのかもしれない。

それを達成するには、一度文章が書けなくなる必要があるのだろうか?わからないが、頑張ろう。自分に素直に生きてきた人にしか本は書けないと思うし。向き合いながら生きる。(プロフェッショナル仕事の流儀で宮崎さんが、「裸になって映画をつくる」とおっしゃっていた。本も映画も歌も自分を映し出す鏡だから嘘をついてはいけないのだろう。)

 

本を書くのはきっと少し先の話だろうけれど、今はこの怠けきった心と体と頭を少しずつ更正していきたい。ただ、その道のりには、怠けてしまうことも必要なのかもしれない。パーマ効果ははるか遠くを見据えて挫折しそうな自分にエネルギーをくれた。

最近無気力症候群かもしれない

最近私は自分が何を考えているのか分からない。

 

やりたい!と思ったり頑張ろう!と思ったりすることはあるのだけど、ふとした拍子にやる気が全く起きなくなることがある。今日なんかもそれだった。

何だかとてもつらかったし、悲しかった。

とっても楽しい!最高の一日だった!と思った翌日になぜか、生きてるのしんどい。死にたいわ…と思うことがよくあった。(実際に死のうとしたことはなく、漠然と人生終わらないかなー今。と思ってた程度なのだけど)

最近日記をつけているのだが、夜書くのを怠ってしまって次の日に書くと昨日の出来事なのに思い出すのが難儀だ。自分は短期間ごとにリセットされているのかもしれない。

 

題名の無気力症候群のことだけど、これはさっき書いた、日によってテンションとか時には人格みたいなところさえも違くなってしまうことを念頭に置いて、、たまに起こる問題としてとらえて頂きたいのだけど。

私はたまにどうしようもないくらいに無気力になる。

本当にどうしようもないくらいに。

 

頭では何をすべきか分かっているのにテレビのリモコンに手が伸びる。やらなきゃいけないと思うほど嫌になってしまう。心が鉛のように重たくなる。体を動かすことがとても難しくなって一日中ほとんどベッドの上から起き上がらない一日もあったりする。

携帯を見ると対応しなければならない事案が目に入って私をくるしめるのでそういう時はだいたい携帯を見ない。だから返信ができなくてたまっていく。

 

幸いなことに自分は仕事をしていないし、何らかの責任者という立場にもないので一日部屋でぼーっとしてたところでクリティカルな事件が起きてしまった!という経験はないのですが、このまま仕事できるのかなあと不安になります。

 

無気力症候群は趣味とかには影響が出ず、仕事や勉強に対して無気力になるためたださぼっているように見られることも多いとか。(たださぼっているだけかもしれないけど)

あと、原因として完璧主義だったり、人の期待に応えることを目的にして行動をしていたり、自分自身が分からなくなっていたりしていたことがあるらしい。

 

完璧主義なところとか、自分自身が分からないというところは当てはまるのかもしれない。今まで世の中とか親とか、周りの人間が決めた基準で評価されようとしてきた節はあった気がする。努力もそこそこ高校の時はしてきたから、多分それで軽く大学4年間燃え尽きていたのかもしれない。(4年って長いなあ笑)

 

とにかくあんまり自分を責めずに遅々とした歩みで進んでいかなければならないのだと思う。けどなんか今まで(受験は失敗したけど)本当の意味で挫折をしたことなかったのでなかなか自分の状態とかを受け入れるのには時間がかかるしとてもつらいことなのかもしれない。

 

もしかしたら明日になったらケロっとしてバリバリ頑張るぞー!っと言っているのかもしれない。だから誰にも言うことが出来ない。「何だ。大丈夫じゃん。」って言われるし。その状態が一生続けば問題はないのだけど、また不定期に突然今みたいな状態は訪れるし、私にとってはこっちのくそみたいな状態の方が本当の自分のような気がするので、もしまた大丈夫になっても全然安心できない。その時点では大丈夫だし、明るくなっているのだけど、根本は解決し得ない。

これから頑張ること

今月、自分はキャリア支援団体SHOTに入ることに決めました。

きっかけはキャリア支援団体SHOTの運営をしている築島さんという方とお話したことです。話した時に1時間しか話をしていないのに自分の話したいことを話せて、聞きたいことを聞けました。すんごく行動力があるのにすごく人のことをよく見て話を聞く人だと思いました。

 

入ることにしたのには3つ理由があります。

”自分自身がなりたい姿に向かっていける社会”を創るという理念に共感したこと。

②学生団体ではない場所で、思いっきり活動したいと思ったこと。

③築島さんみたいに行動力と思考力、傾聴力を兼ね備えた人になりたい、と思ったこと。

 

①に関してはそのままなのですが、②に関しては自分が今まで学生だけの活動をしてきて、どうしてもボランティアの団体だとメンバー同士の意識の統一が測れなかったり責任が薄かったりするので、ボランティアだからこその利点はもちろんあると思うのですが一度就職前にボランティアじゃなくバイトでもないところで本気で活動したい!と思ったからです。

③に関しては、自分の弱みである行動のできなさ、びびりなところを変える環境としてロールモデルがいる場所にいたいと思ったからです。

 

目的は一つで、

誰か(顧客)のためにチームで全力で頑張ることの楽しさを知ること、です。

 

これだけはどうしても就職前にやっておきたくて、自分が本当に価値があると思うものを誰かに提供するために頑張ることが楽しい!と思って就職しないと頑張れない…と考えています。だからこれは人のキャリアを支援する行動でありながら、自分の就活でもあります。

 

3月までは、アイセックの受け入れプロジェクトリーダーを全うして引継ぎ、最近何故か微妙に忙しくなってきた授業の課題をこなし、自分自身の就活も進めます。

それまでSHOTではインプットと集客をメインにして、4月から本格的に頑張っていきます。

自然に、前向きにいきる

私は誰かと話すと毎度のこと、刺激や影響を受けやすい。

 

でも、言われたことは消化しないと自分のものにならないわけで、言われて、ノートに書きこんで「うんうん。そうですよね。勉強になりました!」って言ったところで、それは本当に自分のものにはなっていない。(←今までこれだった)

 

今回は今まで潜在的に頭の中にたまっていた言葉や経験たちが綺麗につながった。自分のなりたい像とか、選択の仕方、物事のとらえ方などが少し前よりも見えてきたかなと思う。

 

私がなりたいのは、自分の言葉で今していることを語れて(弊社は、、とか弊団体は、、とかでなく)。リスクや状況に流されずに自分の心にあるものを素直に選択でき。過去を認めてこれから良い方向に進む可能性を素直に信じることができ。そのために悩むことができる人間だ。

 

つまり、心のまま素直に考え感じ、前に進む行動を選択し続ける強さを持ち、自他すべてに対して可能性を信じることの出来る人間。

 

私は、人が幸せになるにはどこにいるのかではなく、どこを向いているかが重要だと思う。

どうしようもないこともあるが、今よりも素晴らしい未来のために日々の選択を行っていくことができたら、それはもうすごく輝かしい人生を送っていることになるのではないかと。

 

自分は努力する前に、いや無理だろ…って言ってしまう系人間なので、この目標は簡単に見えてものすごく難しいと思う。

 

でも、まずこうなるために、ブレストとスクリーニングを同時にやらないことを心がける。こうなったらいいな...でも無理だろうな。ではなく、こうなったらいいな、って思ったらどうやったら出来るかな?と考えてみる。

 

無理だからやめる、のを無くしてまず一歩踏み出してみる。。というのをまじで頑張りたい…。一歩は小さくてもいい。やったことで少しでも見える世界が変わったら、もっと可能性を信じられるようになる。

 

もし「やらない」選択をするとしたら、それは必要がないから。

無理かどうかを決めるのは私ではない。やったさきで運命が決めること。

 

別に自分はこのなりたい像、に対して血と涙と汗を流して決死の覚悟で無理して進むわけではない。むしろ逆。いらない苦労をしないためにこうする。

 

やらされるのではなく、必要だから、やるととらえた方が楽しく人生生きられるし、こうしたい!と思った未来を実現できるようになったら幸せだし。

 

ここで注意したいのは、失敗したときだ。どうポジティブにとらえて次の行動につなげるか。まずそこまで落ち込んでなかったら、「まあ、この手法でだめだってことが分かっただけでも上等でしょ!」で、喰って寝て、立ち直る。

それでもちょっと落ち込むくらいに失敗してしまった時は、「自分は行動した。歩かなきゃ躓かないし、失敗は挑戦にこそ付随する」と思って過去の自分を肯定してあげる。そして、友達に励ましてもらう。(ただただ聞いてもらう。頑張ったねって言ってもらう。)

それでも、もうだめだ…立ち直れないよ…となったら泣く。そして何も考えずただただリフレッシュする。一日。ゴロゴロしても本読んでも、映画見てもいいけど寝すぎに注意。そしたらよし!明日も頑張ろ!ってなれる…はず。それを何度も繰り返すかもしれないけど、大丈夫。

 

こんな感じで頑張ってこう。まだまだだけど。
書いた次の日にネガティブになってるかもだけど。大丈夫だと信じる。

ぐだぐだですみません。次はもっとまともな文章書きます。

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先人への感謝を忘れずに

14日、15日と、山近代表(ザメディアジョングループ代表)と、代表のお知り合いの経営者の方、社会人、学生の方と知覧の合宿に同行させていただきました。

 

鹿児島県 南九州市 知覧は第二次世界大戦(当時は大東亜戦争と呼ばれていた)の最後に特攻隊の方々が出撃した場所の一つです。

そこで、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんの営んでいた冨屋食堂(現在は冨屋旅館として宿泊客を受け入れている)に泊まらせてもらい、女将さんにお話を聞いてきました。

 

当時の遺品や手紙、写真などを見た。当時特攻隊として旅立ったのは自分と年齢の変わらない20歳前後の少年たちでした。手紙では(検閲などもあり、後ろ向きなことをかけなかったにしろ)弟や妹、両親の幸せを願い、今まで育ててくれたことに対して感謝を述べていました。

 

その人たちが、どのような未来を夢見ていたのか。自らがたたかって守ろうとしたものが何だったのか、ということをとても考えました。

 

自分は知覧に来て、その人達が生きたくても生きれなかった時代を、その人たちが託した未来を生きているということを思い、言葉に詰まった。

自分はそのことも知らずに、何となく生きていたし、生きていることに感謝もしていなかった。特攻隊の人達に関わらず、先人たちの努力や苦労の積み重ねで今があるのにただ「昔の事だから」といって興味を示すこともしてきませんでした。

 

「歴史」というとアレルギー反応を示してしまうひとも多いと思います(私もそうでした。ただ暗記だけをしてとてもつらかった記憶があります笑)

でも、昔の人がしてくれたことを、それに対しての恩を忘れて生きることはとても恥ずかしいことだと思いました。

 

だからこれから無理に「勉強」するわけではないけれど、アンテナを張り、入ってきた情報に積極的に興味を持って自分で調べていこうと思います。

 

それと、特攻の母、トメさんは一番大切なことは徳を積むことだとおっしゃっていた。

人に善いことをして、役に立って喜んでもらう。自分の善きところを人に差し上げる生き方。それを己の喜びとする生き方。

 

今の自分が次のステップに進むためにとても重要なことなのかな、と思いました。この世界に、国に、会社に、学校に、友達に、家族に、自分は何が出来るのかということを考えること。

 

これからの就活で考えていく軸が一つ増えました。等身大の自分に何が出来るのか。考えていきます。